「 寄り添う場所 」
「…お前は、俺の猫…だよな」
コノエの髪を優しく梳きながら、低い声がボソリと呟く。
「……?」
穏やかに喉を鳴らして眠りに落ちそうになっていた意識を引き上げ、ふと目を開ける。
すると、少し寂しそうな顔のバルドが、腕に抱え込んだコノエを見下ろしていた。
大型種のバルドと同じ寝台を使うのは、いくら小柄なコノエでも少々狭い。
だから、こうしてくっついている。
今は祭りの時期でもないので、宿の部屋はたくさん空いているというのに。
自分たちの非合理さに苦笑しつつ、仕方ないと思う。
──だって、傍にいたいのだから。
「なんだよ、いきなり」
見た目と普段の大雑把さに似合わず、どうもこの猫は、度々余計な事を考えているようだ。
豪快な論理で何度もコノエを救ったくせに、自分の事に関しては後ろ向きな所がある。
一緒に過ごすようになってだいぶ薄らいでは来たが、やはり元来の性質はそうそう変わるものではない。
もう解っている。だから。
その分、コノエが話を聞いてやればいいだけだ。
それは少し…頼られているようで、嬉しい。
いつもは、からかわれたり振り回されたりなのが、こういう瞬間は…信頼されているのかな、と思える。
しかしバルドは答えず、バツが悪そうに押し黙ってしまった。
その態度に、コノエはムッとする。
そこで、抱きつくようにしてバルドの背に腕を回した。
それから…。
「──痛っ…」
ギュッと、太い縞柄の尻尾を掴んだ。
さすがのバルドも、それには思いっきり顔をしかめた。
「また、何か考えてるだろ」
コノエが険のある声で睨むと、返ってきたのは溜め息だった。
「……解ってはいるつもりなんだがな…。ついつい考えちまうんだよ」
そうして背中を丸めて抱き付いてくる姿は、子供のようにも見える。
コノエよりずっと年上なのに。
でも、だからこそ、こんなに近い距離でいられるのかもしれない。
黙って見上げ、続く言葉を待つ。
しばらく睨んでいると、やがて観念したのか、バルドはもう一度溜め息をついた。
「──お前は、まだ若いだろ?」
「そりゃ…あんたよりは」
軽口のつもりで言った言葉に、めずらしく反論はなかった。
「今日、ライが来てたよな」
そして、話題は何故か違うところへ摩り替わった。
バルドの中では何かの脈絡があるのかもしれないが。
「…だから、何なんだよ、いきなり…」
コノエにはさっぱり解らない。
「──…俺も、若い頃は旅をしたり、色々やってみたり…」
ごにょごにょと口篭るのは、やましい事があるからだろうか。
途端に胸の奥がムカムカし、コノエは大きく尻尾を振った。
「言い訳なら、聞きたくない」
「違う、そうじゃない。…そうじゃなくてだな」
言いにくそうにしているが、もうここまで来たら誤魔化せないとでも思ったのか、バルドはゆっくりと間を置いてから口を開く。
「コノエも…まだ、旅に出たりしたいのかと…思って、な」
「……は?」
唐突な台詞に、思わずコノエは間抜けな声を上げてしまった。
だが、バルドは大真面目だ。
「俺がライの奴と手合わせしてた時、自分も戦いたいと思ってたろ?」
そういえば。
昼間、ライが訪ねて来た時。
剣を交えていた2匹を、コノエは熱心に見ていた。
そんな中、一瞬だけ、バルドと目が合ったことを思い出した。
「火楼の猫はもともと闘争本能が強いっていうし、お前さんはまだ若い。それを、この宿に閉じこめておくのも…」
「なっ…!」
確かに、戦う2匹を見て昂揚はした。
体の中を流れる血も騒いだ。
しかし、それは…──
「…今更、出て行けって言いたいのか…?」
自分でも嫌なくらい、低く唸って問う。
そんなはずはない。
あの死地を乗り越えて、つないだ絆。
けれど、心変わりがないと…言い切れるのか?
そんなはずなはい、と…思いたい。
「コノエがそうしたいって言うなら…俺に止める権利はない…よな」
弱気の発言に、コノエの怒りが一気に沸いた。
もう一度、掴んでいた尻尾を思いっきり握り込む。
「──ッイテ…!」
「バカじゃないのか、あんた」
「ば…」
さすがにコノエを包んでいた手を離し、バルドは自分の尾をさすりながら呆然としている。
コノエは構わずに捲くし立てた。
「…誰がそんなことを言ったんだ。俺は、好きでここにいる。そりゃ、宿の猫としては、そんなに…その…役には立たないかもしれないけど…でも…!」
火はまだ怖いので、料理は下ごしらえや食器を運ぶくらい。
字だって、まだまだ練習中だ。
バルドにしたら、手伝いというより居候に見えるかもしれない。
それでも、コノエなりに一生懸命やっているし、何より自分で選んだから、ここにいる。
それは当然、バルドだって解っているのだと思っていたのだが。
口に出して言ったことはなかったかもしれない。
「…それに、昼間のだって、あれは別に…そういう意味で見てたんじゃない…」
そこまで言って、不意に声が小さくなる。
「……?」
「──確かに、戦いたいとは思った。けど、一瞬だけだ。それだけじゃなくて…」
この際だから、白状してしまおうか。
言わなかったことで、あらぬ誤解を生むなら。
だが、やはり気恥ずかしくて、コノエはバルドの首元に額を押し付けて顔をうずめた。
その格好のままで、小さく囁く。
「…あんたが、楽しそうだったから…そんなのも…いいなと思って…」
ライとの確執では、苦い顔しか見せなかったバルド。
それが解けて来たのだから、コノエも我が身のことのように嬉しい。
「…俺?」
「………」
呆けたような声を掛けられ、コノエはやはり言わなければ良かったかと悔やんだ。
でも、事実だったのだから…今更取り消せないし、上手い言い訳も出てこない。
途端、
「そうか、俺か」
声色が変わった。
怪訝に思って顔を上げると、先ほどの寂しげな表情はどこへやら、バルドはニヤニヤと笑っていた。
「…なんだよ」
あまりの変わりざまに、さっきまでの落ち込みようは演技だったのかとさえ思えてくる。
いや、そうでない事は何となく解るのだが、この立ち直りの早さは妙に納得がいかない。
そして、それがバルドだと思い、納得いかないながらも離れられない自分も悔しい。
こういう所が放っておけないからだ…と、コノエは自らに言い聞かせる。
と、急に真面目な顔になり、バルドはまっすぐにコノエを見下ろした。
「…悪いな、やっぱり駄目だ」
「…?」
まだ何か、考えているのだろうか。
少しだけ、不安がよぎる。が、
「──コノエ…お前が旅に出たいって言っても、俺が、もう手放せない。…悪いが、ずっとここにいてもらうからな」
そんなの…。
「それで、いいだろ? 俺だって、最初からそのつもりだった」
「そうか」
素直に返すと、バルドは満足そうに頬を緩めて頷いた。
「…あんたこそ、俺を追い出したり…俺を置いて旅に出たり…するなよな」
「する訳ないだろ。俺はもうそんなに若くないさ」
「昔、遊んでたんだろ…?」
「今はお前だけだって、解ってるだろ? それとも、まだ証明し足りないか?」
先刻まで髪を撫でていた手が、明らかに違う意図を持って腰の辺りを撫でる。
「…っ、そういう発想がオヤジだって…!」
「オヤジで結構。そのオヤジと、連れ添ってくれるんだろ? コノエは」
「…そういう訊き方は、ずるい…」
「ん? なんでだ?」
解っていて煽るような口調に、ますますコノエは押し黙って顔を背けた。
その辺は年の功なのか、こういう時だけはバルドの態度は余裕だ。
コノエは余計に、意地でも答えたくなくなる。
そうすれば必然的に、伸ばされた手の動きがエスカレートする事は予想がついていたけれども。
…それでもいいかと思う。
まだまだ、夜は長い。
「──絶対に、教えない」
軽く睨んでから、コノエはすぐ傍にあったバルドの唇を甘く咬んだ。
(終)
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バルコノ。
「イチャイチャしてんじゃねぇぞォ!?」って黄色いひとに言われそうだ…!;