「 falling 」
(睦×蓉司)
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暗い室内に、甘く広がる匂い。
ずっと包まれていたい。
睦の望みも虚しく、それは日々薄れていく。
ここにあったものは何だったのか。
あの強烈な誘惑は本当にあったのか。
夢と現の狭間で、睦は待ち続ける。
こうして。
ここで待っていたら、いつか戻ってくるのだ。
再び、甘い香りを漂わせて…。
もっと。
もっと欲しい。
脳髄が痺れるくらいの匂い。
とろけるような…血の、味。
渇望している。
歯が疼き、舌が求め。
どうしようもなくて、睦は爪を伸ばす。
手近にある、自らの腕を抉るために。
でも。
こんなんじゃない。
──蓉司は、もっと…。
「あ、はは…」
勝手に、乾いた笑いが洩れる。
自分ではない誰かが笑っているみたいだ。
心のどこかでは解っている。
いや、解らない。
だから、この場所で待っている。
「どこ行っちゃったんだよ、蓉司ぃ…」
低く、かすれた声で呟く。
なぜか、張り付いた微笑みが消えない。
ドンドンドン…と、激しく扉を叩かれる音がする。
おそらく、玄関だ。
そんなことは知らない。どうでもいい。
“三田、開けろ!”
誰かが叫んでいる。
ただの言葉の羅列。
それは睦にとって意味がない。
そういえば、嫌いだった声に似ている。
嫌なものを思い出した。
あいつは、蓉司を横取りしようとしたのだ。
でも、あいつだったら、そんなに焦った声を出したりしない。
それに。
「もう、蓉司は俺のもの…」
窓から洩れ聞こえて来るサイレンが、やけにうるさい。
「だから、早く帰って来てよ…蓉司」
END.(2009.4.25)