[ to home ]
(ユキヒト×アキラ)



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「…なんだよ、これは…」

 慣れない仕事で心身ともに疲れ果てて「家」へと戻ったアキラが、開口一番それだけ呟き…立ち尽くした。
 正直、部屋の中まで進むのが躊躇われて足が止まったのだ。

 だって、今日の朝 ─ アキラが出掛けるまでは、こんなものはなかった。

 狭い部屋では嫌でも目に入る主な居住区であるリビングの…大半を陣取るような形で置かれた大きなベッドの上で、ユキヒトは楽しそうに絵を描いていた。

「あぁ、おかえり」

 一緒に暮らすようになってしばらく経った。最初は気恥ずかしさを覚えたその言葉にも慣れ始めた。
 しかし、何事もなかったかのように口にするものだろうか。
 アキラは、この状況について、何も、一言も、説明を聞いていない。

「…………なんだよ、これ…」

 答えのないユキヒトに焦れて、アキラは再び同じことを繰り返す。

「あぁ、これか? 俺は、ベッドじゃないと安眠できないからな」

 しれっと言うのはどの口か。

 トシマを抜けるまでの間も、日興連へ入ってすぐの避難生活も、仕事を始めたばかりでこの部屋を借りて雑魚寝をしていた時も…
 どこであろうと、ユキヒトはアキラなどよりよほど腹を据えてぐっすりと睡眠を貪っていたと思うが。

 確かに、疲れた体を休めるのに快適そうなベッドだ。

 だが、それにしても…大き過ぎる。

 それに、アキラには何の相談もなかった。
 これだけ大きなものを運んだとなると、衝動的に買ってきた訳ではあるまい。
 よく見れば、サイズを測ったとしか思えないほど、あつらえたようにぴったりと部屋の角に収まっている。

「……」

 もともと人と話すのも得意ではなかったアキラが、ユキヒトの勧めもあって接客の仕事を選んだ。
 まだ慣れていない所為なのか、それは思ったよりも遥かに神経を遣う仕事であり、帰る頃にはぐったりするほど疲れてしまう。

「─俺の、場所…」

 そういった疲れの作用もあり、不機嫌を表わした言葉は端的になった。

 大きなベッドが一台。
 ユキヒトは自分用だという口振りだった。
 とすると、アキラはこの狭い空間に布団を敷けと?
 一番疲れているタイミングで、なんという嫌がらせだろうかと顔をしかめる。

 しかし、ユキヒトにはアキラの思っていること全てが伝わったらしく、小さく笑ってポンと自分の横を掌で叩いた。

「ここ、に決まってるだろ」

「……」

 それは…。

「お前、最近疲れてるだろ。眠ってる時くらい、ゆっくり休めよ。ほら、来てみろ」

 素っ気無い口調だが、アキラのことを考えていての行動だということが伝わる。
 少しでも疑った自分を恥ずかしく思いながらも、アキラはおずおずとベッドへ近付き、両手でシーツの感触を確かめてからそっと腰をおろした。
 …悪くない。
 今まで、寝床の感触など気にしたこともなかった。これが当たり前だった生活など、すっかり忘れていた。

「どうだ? なかなかいいだろ」

 すぐ横でアキラを見遣り、ユキヒトが囁く。
 アキラは微かに頷いてから、はたと気付いた。

「…それなら、もっと小さいのを2台にすれば…」

 部屋は狭いが、こんな大きさでなければ可能だったはずだ。
 家賃同様に節約と言われればそれまでだが、アキラには大きさによってどれだけ値段が違うのかわからない。
 ただ、安眠という点では、狭くても個々のベッドがあったほうが落ち着くと思うのだが…。

 と、ユキヒトがこれ見よがしに大きな溜め息をついた。

「……?」

「…いや、なんでもない。お前はそういう奴だよな」

 アキラが首を傾げると、すぐさま否定の声が返ってくる。それから、不意に妖しげに声が潜められ…

「─こっちの方が都合がいいだろ? …いろいろと」

「……っ!」

 すぐ耳元での囁きに、さすがのアキラも思い当たる。瞬間、顔中に血が上ったのを自覚した。

 どうもこの男には抜け目のないところがあって、アキラは後手に回るばかりだ。

 今までにはなかった、新たな人間関係。
 それはそれで、うまくいっているのだと思う。

 ただ…。

「真っ赤になって…。今、何を考えたか ─ じっくり教えてもらおうか?」

 意地悪そうに笑った瞳から眼を逸らし、

 せっかくの快適そうなこの場所で、どれだけ安眠できるものか…と

 アキラは心の中だけで呟いた。


(END - 2008.6.9.)