[ break ]
(ユキヒト×アキラ)



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「─いらっしゃい、ま、………せ…」

 驚いた拍子に癖になりつつある文句を途切れさせかけたが、アキラはなんとか気力で最後まで搾り出した。

「よぉ」

 対した相手は、気さくに片手を上げる。
 少しだけ意地悪そうに口端を上げた表情がなにやら楽しそうだ。
 きっと、この状況を楽しんでいる…それ以外には考えられない。

 それでも、アキラは平静を装って「客」を奥のテーブル席へと案内する。
 仕事とはいえ、見知った顔にこういった対応をするのは、なんだか気恥ずかしい。

「…何しに来たんだよ」

 客 ─ ユキヒトが席についたのを見計らい、アキラは周りには聞こえないように小声で問い掛ける。

「様子を見に来ただけ。いいだろ? "客"なんだから」

「…っ」

 確信的なユキヒトの一言に、アキラは言葉を詰まらせた。
 あくまで、「アキラが働いている所」へ来たということだ。
 暗に、顔見知りだとしてもぞんざいに扱うな、という牽制でもある。

 この店で働くことを決められたのも、アキラより世間慣れしているユキヒトがいたお陰だし、彼なりに心配しているのだとは思う。
 しかし…。

「…ご注文は」

 あまりのことに硬い口調で、それでもアキラは業務をこなす。

 憮然と注文を繰り返すアキラを、席からニヤニヤとユキヒトが見上げている。

 とても居たたまれなくて、アキラは早々に確認をして厨房へと向かった。
 その背中にも、痛いくらいの視線が追いかけて来るのを感じた。

 やはり、厨房の仕事が良かった。
 最初はそのつもりだったのだ。
 それが、あまりにも手際が悪かったり、数日の間に数え切れないほどの皿やグラスがただの破片になっていたり…
 そのうちに、フロアでの仕事に回された。
 ─その際に、多少なりともアキラのルックスが考慮されていたことは、当人は知らなくても良いこと。

 運動神経は決して悪くないのに料理を運ぶというのは意外と難しいもので、もちろん、こちらでも失敗はたくさんした。
 ようやく、少しは慣れてきたと言っても良い頃だった。これなら続けてもいいと思えるくらい。
 そういう意味では、今より前に「様子を見に」来られなくて良かった。




 厨房に一通り注文を伝えて…まだ、試練は続いている。

 よりによって、フロアの従業員が少ない時間帯。他の誰かに仕事を代わってもらえる訳はない。
 些か緊張しつつ、用意してあるグラスに冷水を注いでユキヒトのいるテーブルへと運ぶ。

 無言でグラスをテーブルへ置こうとした時…

「どうも」

 そう言った声で、衣擦れの音は聞こえなかった。

 だが、この感触は…

「─…ッ!」

 アキラは声なき悲鳴を上げて、危うく水の入ったグラスを放り投げるところだった。
 それを、まるで読んでいたかのようにユキヒトが片手で押さえて事なきを得る。

 読んでいて当たり前だ。
 …今、後ろからアキラの腰に手を掛けたのは、他ならぬユキヒトなのだから。
 アキラの反応くらいお見通しだろう。 

「お前は…!」

 つかみ掛りたいのを必死に抑えて、アキラは低い声で呟く。

「あっちの客が呼んでるぞ」

 と、ユキヒトは素知らぬ顔で目配せをした。
 つられて視線を向けると、確かに離れたテーブルで客が呼んでいた。

 “あとで、おぼえてろ”

 声には出さず口だけ動かして、アキラは呼ばれたテーブルへと向かった。

 小さな笑い声と共に、その背中にも視線が送られる。
 それは、いつか感じた冷たく鋭いものではなく…。





 彼が店をあとにしてからも、アキラはずっと考えていた。

 “あとで”

 さて、何をしてやろうか。

 そうだ、マスターに頼んで、残ったレモンを全部もらって帰ろう。

 ユキヒトの元チームメンバーに再会して少しずつ話すようになって、真っ先に教えてくれた情報だ。
 ユキヒトの好きなもの嫌いなもの。
 訊いてもいないのに、いろいろ聞かされた。

 今まで、他人の好みなど知ろうとも思わなかったが…役立つ時もあるものだ。

 こうして意地悪を思い付く時点で、アキラはだいぶユキヒトという存在に感化されているのだろう。

 大変なことも、腹が立つことも、たくさんある。
 けれど。

 一緒に過ごすことを、
 今は

 とても、楽しく感じている─


(END - 2008.6.10.)